四平戯の世界

                                        於2005.9.6-9.17  中国福建省

1. 福建省政和県楊原村と英節廟会
  <図版は拡大してみられます>


楊源村の川。ここから英節廟までのあいだの鯉は禁漁。


英節廟遠景



英節廟脇の橋の内部


倒挿杉。張謹の長子がここにきて占いのために植えた杉。定住が可能となる。


張謹夫婦の像


廟内の舞台。賜福天官、金童・玉女の図がみえる。


子供たちは芝居の場にあそびにくる。芝居好きだ。
張謹の墓。50キロ離れた鉄山鎮にある。

 政和県東南部楊源村では、毎年、春と秋の二回、英節廟会を催し、そのなかで四平戯を演じている。
 英節廟会は同村の95%を占める張姓の主宰する祭儀である。英節廟には唐末黄巣の乱の時に殉死した張謹とその妻が祖神としてまつられている。この宗族の内部には四平戯を担当する梨園会が組織されている。その構成員はすべて楊源村の住民である。この祭祀芸能は「数百年の歴史」*を持つものとされている。

*葉明生・熊源泉「政和県楊原村英節廟会与梨園会之四平戯」 『民俗曲芸』第122,123期、財団法人施合鄭民俗文化基金会、2000年、191頁。

今回、2005年9月8日(旧8月5日)−9月10日(旧8月7日)まで、秋の英節廟会に参加して、その祭祀と芸能をみることができた。その様相は1年に2回、村落の人びとが、みずから進んで自分たちの祖神に対して祭祀と芸能を捧げるというもので、たいへん興味深いものであった。この地の四平戯という芸能は明確な資料はないものの明代の地方劇四平腔を受け継いだものとされている。これだけのものが毎年、少なくない負担を甘受しつつ、農民の手で維持されてきたことは注目すべきことである。
 ここには今のところ、日本などでよくあるような、公的機関からの支援は一切ない。やがては貴重な文化財とされるであろうが、現状は演じ手不足で維持に相当苦労をしている。

2. 英節廟の舞台
楊源村の英節廟は清代康煕元(1662)年に建てられた。しかし、これは重建の記載である可能性もあり、正確な建造年はわからない。
 廟内には張謹とその妻の神像ほか、部下郭栄佑とその妻の神像、張謹の伯父、息子世豪の像などがある。また神像に向かい合う位置に芝居用の舞台がある。
 舞台は元来、廟と同時に作られたとみられるが、現在のものは道光30(1850)年に重建された。舞台正面の壁には賜福天官、金童・玉女がえがかれている。さらに天井のところにも八幅の人物画がみられる。

3. 2日目、広恵宮への行進



迎翁会の人びとにより広恵宮までの行列


広恵宮に到着した神輿を迎える。


広恵宮内の神像。左から郭栄佑夫妻、外甥、張八婆、張八公。



帰りの行列。


村内では爆竹で歓迎される。


廟内にはいる時は勢いよく駆け込む。

 三日間の廟会のうち、2日目の午前中におこなわれる。迎翁会の人員百人ほどにより広恵宮まで行列がなされる。僧や道士の参加がないので簡単である。ただし、英節廟から村外1里(500m)のところにある広恵宮への神輿の行列は古式に従ってやっている。これは張謹の出戦のさまを模したものだという。
 午前8時頃、廟を出て、広恵宮につくと、この小祠のなかで四平戯のうちいくつかを演唱する(今回は『偸桃献寿』『呂蒙正』『張公義』)。そして、午前10時半頃、英節廟に戻る。

4. 2005年、四平戯の演目

 初日 9月8日(旧8月5日)



八仙の勢揃い。右は魁星。


加冠進禄などの慶祝の演戯。


蘇秦奏主。蘇秦、故郷に錦を飾る。


 聯芳。老母と妻のいるところに、科挙に合格した息子が帰ってきて対面する。右は台本。




 姚江下山。王音が姚玉妹とその母に義兵を起こすことを告げる。


 姚江下山。姚江は王音らの意を受けいれ、従軍の決意をする。義が強調される。


白兎記。劉智遠と李三娘との結婚の義。


劉智遠と李三娘。


左、李三娘と息子。右は、成長した劉士郎が兎を追ってきて、母のいる石臼小屋にきたところ。


 左は劉士郎が母をみつけたところ。右は一度、別れてから再度、母を尋ねてきたところ。これらは目連救母の場面と重なる。


 左は、再会した母と息子。女性たちにとって、最も期待される場面であろう。夜の上演後には夜食の振る舞いがある(右)。

 1.八仙(開台戯)
跳魁星(魁星に托して文章で名を挙げることの予祝)、加冠進禄などの慶祝の演戯がある。跳魁星では仮面をつけて飛び跳ねる演戯をみせる。
 2.蘇秦奏主(折子戯)
 蘇秦はよく謀を巡らせて秦を破り、魏の丞相となる。そして故郷に帰り、父母、叔父、兄嫁、妻に報いる。立身功名後に故郷に錦を飾る。この演目は宗族の最終的目標を表現している。
 3.聯芳(折子戯)
老母と妻のいるところに、科挙に合格した息子が帰ってきて対面する。この一家では、その兄もまたすでに科挙に合格していて喜びが重なる。すなわち聯芳である。
 4.姚江下山(折子戯)
 姚江は父親を暗愚の王に殺された。そこへ、王音がきて謀反の戦を起こすことを告げる。すると、姚江はこれを軍紀違反として処罰する。しかし、姚玉妹らの訴えもあり、姚江はついに兵士とともに事を起こし、下山するに至る。明清戯曲『英雄会』の一部。
 5.白兎記(全本)
 夕食後、2時間余りの上演。
 李員外は馬面王廟にいって劉智遠に会う。そして劉智遠は見込まれて李三娘と結婚する。ところが、李員外が病死しして、状況が変わる。劉智遠は李三娘の叔父の李洪信に離婚を迫られる。
 劉智遠は離婚はせず、他郷に兵士として出征する。一方、李洪信は李員外の残した財産をねらって、李三娘に改嫁を勧めるが、断られる。すると、李三娘を石臼小屋にとじこめる。李三娘はそこで劉士郎を産む。
 李洪信はこの赤子を池に捨てる。しかし、太白仙翁は赤子を救い、父親のもとにいかせる。父親である劉智遠は兎が泣くのをみて、子供がいるのをみつける。劉士郎はそのまま父のもとで育てられ成長する。
 ある時、劉士郎は兎を追って、偶然、母のいる小屋にいき、はじめて母に対面する。一度、別れてから、劉士郎は兵を率いて開元寺で母の無事を祈る。そして母のいるところにやってくる。母子は再会する。
 劉智遠は出世して、李洪信の前に現れる。李洪信は処罰を受け財産を没収される。
 この『白兎記』は物語の内容を一通り演じた。最後の母子再会の場面に向けて、それなりの熱演でなかなか見応えがあった。母子の対面が二度にわたってあり、最後の対面から団円に至るところは宋元以来の目連戯の構図を踏まえているといえよう。

 第2日 9月9日(旧8月6日)



東方朔偸桃。


跳魁星。
 魁星


 楊六郎斬子。楊宗保を救いにきた遼の女将穆桂英。この女将は後世の戯曲でも頻繁に登場する。


 上華山。左、二郎神に咎められる妹の三仙娘。右、土地神が劉沈香を助けて父親のもとに連れていくところ。


 劉沈香は李鉄拐の助力で敵を退け、母のいる黒風洞の前にきた。右は、母を救出したあとの出会い。

午前中は迎翁会の人員百人ほどにより広恵宮まで行列がなされる。午前8時頃、廟を出て、広恵宮に赴く。この小祠のなかで四平戯のうちいくつかを演唱する(今回は『偸桃献寿』『呂蒙正』『張公義』)。そして、午前10時半頃、英節廟に戻る。
 昼食後、2時過ぎから四平戯がはじまる。

 6.東方朔偸桃(開台戯)
 2日目のはじめは東方朔が桃を偸んで王母に献上する演戯からはじまる。前日と同様、跳魁星、加冠進禄の慶祝の演戯もみられる。
 7.楊六郎斬子(折子戯)
1時間余りの折子戯。宋と遼の争いのなか、宋の楊延昭は息子の楊宗保を出陣させる。ところが、敵の女将軍穆桂英により敗戦を強いられ、楊宗保は穆桂英との結婚を余儀なくさせられる。のち、楊宗保は宋の陣営に戻る。しかし、父の楊延昭は息子宗保が軍律違反を犯したことを理由に、轅門(役所の門)において、息子を斬罪に処するように指示する。
 そこに穆桂英が現れて楊延昭の部下を力でねじ伏せ、楊宗保を救出する。女将軍の立ち回りが演じられる。
 8.上華山(全本)
 劉文錫は科挙に応じるために上京する。一方、華山では二郎神と妹の三仙娘が対話をする。二郎神は妹に南天門前の香炉を守るのは三仙娘の仕事だという。その華山に劉文錫がやつてきて科挙合格を祈願する。
 ここで三仙娘は劉文錫と出会い、求婚し夫婦となる。三仙娘は劉文錫の子をみごもる。しかし、二郎神は妹が人間と結婚したことを咎めて首枷をはめ、洞窟に閉じこめる。仙娘はそこで息子を産む。劉沈香である。沈香は土地神に助けられて父のところへいく。
 劉沈香は八仙の一人、李鉄拐から力を授かり、母のいる黒風洞に向かう。水林洞で二郎神や孫悟空と戦う。そして、李鉄拐の授けた火胡炉を用いて敵を下す。のち母を救出して揚州に向かう。そこには劉文錫がいて、団円を遂げる。
 以上の演戯のうち、母を救出して再会を喜ぶところは、『白兎記』にもあり印象的である。ここには『白兎記』の箇所でも述べたように目連救母のイメージがある。実際、『上華山』の台詞中には、劉沈香が「好似目連救母上西天(まるで、目連が母を救うために西天に向かうのかのように)」という文句がみられる。 なお、この物語は『宝蓮灯』という名でより多く知られている。
2日目の晩の上演は禾洋村の人びとによるものであった。禾洋村は、楊源村から13キロほどのところにある。禾洋村では、毎年、旧暦の7月24日から26日まで自分たちの手で四平戯を演じている。以前は独自の舞台があったが、現在は公民館でおこなっている。この村の四平戯は政和県内では知られているが、外部にほとんど知られていない。
  なお、禾洋村の人びとによる上演は、政和県在住の熊源泉氏の依頼に応じて特別になされたもので、例年このようなことがおこなわれるわけではない。

 第3日 9月10日(旧8月7日)



 禾洋村遠景。前日、『上華山』を演じたのはこの村の人びと。


 張文成案。血雷は彭秀英に成り変わり、孫竜のところに嫁ぐ。


 張文成案。山賊を倒して彭秀英と結ばれる張文(右)。


 張公義。老成した官僚の張公義が妻と宗族の生活の理想のかたちを語る。


 挂牌大戦。生来の女丈夫包三娘と勇者花関索との大立ち回り。


彭子求寿。99歳の彭子が山中の八仙のもとを訪れ、栄華富貴万年を約束される。

 『玄武関』に出る役者。扮装も演出もすべて村民みずからがやる。


 玄武関。西遼の女将軍才月娥は唐軍にとって強敵である。


 王鰲老子のとりなしで、唐軍の秦漢と西遼の才月娥は和平を結ぶ。


 薛仁貴を中心に団円。


 朝は9時半頃から「張文成案」を、また午後は3時過ぎから「張公儀」以下を上演する。廟内の壁には、早くも来年春の廟会の人員リスト「二〇〇六年游迎縁首名単」が張り出されている。

 9.張文成案(全本)
 九龍山の孫竜、孫虎という強盗が力づくで彭員外のむすめを嫁にすることにする。員外はむすめの彭秀英をよんで、別れの酒を飲む。そこへ旅の途中にある張文と従者血雷がやってきて、食をふるまわれる。張文は員外と秀英の窮境を知り、みずからが秀英に変装し、血雷を伴って山の砦にいく。血雷は孫竜に対して、結婚したからには、3回殴り、1回蹴飛ばすことが子供を産むのに必要だなどといいくるめて接近する。やがて張文、血雷は武術の力を発揮して孫竜、孫虎を征伐する。最後に張文と彭秀英は結ばれる。スサノオの八岐大蛇退治のような話であるが、演戯は滑稽な点もあり、雑劇風である。物語は一通り演じられた。
 10.張公義(折子戯)
 張公義は老成した官僚である。登場して、みずからの感懐を公言する。それは忠臣として君主に仕え、子孫には忍耐をもって立身出世を促し、親戚朋友には忍をもって末永く往来するというもので、宗族の倫理の表明である。また張公義の夫人も登場して、孫たちの栄達を張公義に報告する。こうした折子戯は演劇性はほとんどないが、必ず上演しなければならないものなのだろう。
 11.尋箭(折子戯)
 趙匡義は君王の命令により弓を射る業をみがく。ある日、鴛鴦を射るが、鴛鴦はどこへか飛び去ってしまう。趙匡義は従者に命じて探させる。ともに探し求めていくうちに、花園に至る。するとそこには金連という名のむすめがいる。金連は昨晩の夢に王竜が飛んできて身の上に止まったことを告げる。そして、趙匡義に礼物として金の簪を渡して結婚を迫る。趙匡義はこれを受け取り、みずからは指を切って礼物とする。
 閨秀の若い女性が初対面の男に結婚を迫るもので、これは宗族の倫理からみると、不届きな脚本であろうが、実際はこうした芝居は女性たちに人気があったのだろう。
 12.挂牌大戦(折子戯)
 包三娘は生来の女丈夫である。父王の慶誕の日、包三娘は父に命じられて関所の門に大牌(立て札)を掛けておく。そこへ花関索がやってきて、これを打ち破る。二人は対面し、ことばを交わすうちに、互いに相手に惹かれる。しかし、包三娘は花関索に戦いを挑み、両者は立ち回りを演じるが決着はつかない。実は花関索は上界神君であり、包三娘は海の金竜であった。
 ちなみに、江西省万載県潭埠村の仮面をつけてする追儺舞踏のなかにも「鮑三娘・花関索」がある*1。これも大立ち回りを演じるものである。
 13.彭子求寿(折子戯)
 齢九十九の彭子が夢に八仙が将棋を指すのを夢にみる。そこで厳山に向かう。そして八仙に出会い、来意を告げる。いわく、みずからの寿命を延ばし、子の数を増やし、子の出仕を増やしてもらいたいと。八仙はすべてききいれてやり、最後に、「彭子」という名前がよくないので「栄華富貴万年」と改めよという。
 慶祝の折子戯である。
 14.玄武関(全本)
 薛仁貴征西に関連する活劇である。玄武関での戦いの時のことである。西遼の女将軍才月娥は法宝、迷魂鈴をもって戦い、唐軍を大破する。唐将のは師匠の王鰲老子に助けを乞う。王鰲老子の妹に金刀聖母がいる。そして、その弟子が才月娥であった。王鰲老子と金刀聖母の老仙は争いをやめさせるべく、下山して戦場にいく。そして、秦漢と才月娥は前世において結ばれていた、戦う必要はないと言明する。そうして玄武関の門を開けさせ、唐将は玄武関にはいることになる。活劇あり、神話風の筋の展開あり、そうして最後は敵味方の和睦、結婚というかたちで泰平を実現する。宗族の期待の表れであろう。
 三日目の晩、2時間半ほどの上演。このあと夜食をとって三日間の祭祀と芸能は終えた。
 
 四平戯の特色

 三日間の四平戯をみて特色とおもわれた点は次のとおりである。この四平戯は、張謹という千年前に殉死した祖先を記念した英節廟会においておこなわれるものであるから、演目選定には宗族の意向が反映されている。毎回、演目は話し合って決めるもののようで、年ごとに多少の変動はあるだろうが、全般的にみたばあい、その性格は一定しているとみてよいであろう。

 1. 「八仙」に代表される慶祝の演戯がくりかえされる。『八仙』、『東方朔偸桃』、『蘇秦奏主』『彭子求寿』。
 2. 宗族の維持に不可欠な倫理が直接的に演じられる。『張公義』。
 3. 一方で、英雄的な行為、活劇風の演戯が随所にはさまれる。『姚江下山』、『挂牌大戦』、『張文成案』、『玄武関』。
 4. 観客のうちの女性たちの支持が集まるような演戯が効果的にはさまれている。目連救母を連想させる場面や女の将軍の立ち回りの場面などもこれに含まれるだろう。『白兎記』『上華山』の母子再会、『楊六郎斬子』の穆桂英の立ち回り、『尋箭』における金連の求婚、『挂牌大戦』における包三娘および『玄武関』における才月娥の勇姿。

 以上のことから、四平戯は必ずしも宗族の体制維持のためだけに演じられていないことがわかる。なおいうと、各種演目のなかでみられる滑稽性もまた重要な特徴かも知れない。

 付記 この小文と図版は、2005年度科学研究費補助(研究課題「東アジア祭祀芸能史論の構築」)による現地研究の一部を公開したものです。

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